転職して ”天職” に出会う
平田 徳宏(九州大学 知的財産本部技術移転グループ)
Category: 研究+α | Update: 09/05 | Posted by: ishizawa
今回登場するのは九州大学知的財産本部の平田徳宏氏。最初に入社した会社では営業の厳しさを経験すると共に、営業の面白さを感じるまでになった。その後、仕事で出会った先生の言葉を受けて博士課程に進学し、葉緑体遺伝子に関する研究を行う。進学から5年後、同氏が天職だと語る「技術移転」に奔走することになった。同氏が考える技術移転という仕事の魅力、そして大学院に進学する学生へのメッセージを聞いた。
様々な魅力を持つ技術移転という仕事
私は知的財産本部の技術移転部門に属しています。技術移転とは大学で産み出された新しい技術などの研究成果を特許などの権利にして、その技術を企業でビジネスに使って頂くために橋渡しをする仕事です。
私は主に九州大学の医学部の担当なのですが、大学の研究室では様々な研究が行われ、新しい知見が生み出されています。その中で特許として出願できそうな技術や、企業が興味を持ちそうな技術を、研究室を回って探しだして、それを実際に特許として出願し、企業に紹介して事業に用いて頂く事で、学術研究で生み出された研究成果を社会に還元していくのです。
違う、と思ったことが無いですね。本当にやってみたいと思っていたことと一致、いやそれ以上のものを感じています。前職から転職して、天職に出会ったと思っています。本当にこの仕事は天職だろうな。
結局のところ技術と企業との「お見合い」なので、そのお見合いがうまくいってそこから実際に製品が生み出されることが面白いですね。私達は研究成果を研究者の娘さんに例えることがあります。研究成果の技術移転、すなわち娘さんを嫁がせるためにはまずは娘さんのことを良く知らないといけない。幸せな結婚生活を維持するためには、相手もやはり慎重に選ばないといけない。そうしてそのお見合いが成立して、さらにその企業において自分が担当した技術が実際に製品化されたときは、本当に良かったなと思いますね。技術移転が上手くいく事例より、上手くいかない事例がほとんどですが、担当している研究者から、結果的にその技術が実用化出来ても出来なくても、「君のおかげで納得が出来た。また頼むね」という言葉を貰ったりすることはとても嬉しいですよ。
そうですね。大学の技術移転業務は「究極の営業職」だと言われています。九大の研究者の方や企業の方、その他いろいろな方とのネットワークの中で信頼関係を築いて、将来、実用化できるかどうか分からない技術を大学から発掘して企業に紹介していく訳ですからね。
この仕事のもう一つの魅力は、いろいろな可能性を秘めているということです。自分が担当した技術を既存の企業に技術移転(実施許諾)するだけでなく、その技術を基にベンチャーを作るということもあります。そうなるとその技術はもともと自分が担当していてよく知っていますし、思い入れもありますから、そのベンチャーの経営自体に参画して、その技術を世に広めていくという立場に立てる可能性が出てきます。九大ではまだ例は無いのですが、他の大学だとそういう例がいくつかありますよ。そういう部分に興味が強い方にも是非トライしてみて欲しいですね。
前職は営業職。そこでの気付きが現在にも生きている。
私は宮崎大学の農学部に入学して、修士課程まで進学しました。地方大学の特徴かもしれませんが公務員志向が強く、就職は公務員にターゲットを絞っていましたが、公務員試験の勉強をそっちのけで実験をしていました。結果的に公務員試験に軒並み落ちてしまいまして、どうしようかと思っているときに研究室に実験器具や試薬を販売する代理店販売会社の社長がリクルートに来られていたんです。実験器具や試薬を売るにあたって専門知識が必要だからやってみないかと誘われ、その会社に九大医学部担当の営業として入社しました。今でも思い出すのですが、入社したての頃は、とにかく「営業して来い!」と言われ、でも知っている先生もいない、製品のことも分からない、営業の仕方もわからないわで、とにかく鞄にカタログだけを詰めて会社を出て、大学のベンチで半日くらい空を見上げて時間をつぶしていた時期もありました。その頃は本当に辛かったですね。
ただ幸運なことにメーカーの営業研修に一ヶ月行かせて貰って、そこで営業というのはこういう風にやるんだよと教えてもらって、それから営業が楽しくなってきました。というのも営業というのは訪問販売のイメージが強くて、嫌な仕事だろうなと思っていたのですが、その研修で教わったのは「営業は喋ってはいけない、営業は話を聞く仕事だ」ということだったのです。お客様のニーズを聞き出さないと物を売ることは出来ない。だから自分がペラペラと喋ってはいけない、セールスは喋らせる仕事だと。お客様のニーズを引き出すための言葉を発しなければいけないんだ、ということを聞いて、おっ、営業って面白い仕事じゃないかと思い始めたんです。それから2年その会社に勤めて、九大の博士課程に進学しました。進学した理由の一つは、営業先のある先生に言われた言葉がきっかけでした。「カタログの話を喋ってもらっても時間の無駄。僕らが知りたいのはこの試薬や実験機器でどんな実験が出来るのか。自分達がやっている実験にマッチするのかを知りたいんだ」と言われたんです。「でも私のバックグラウンドは植物系で、医学部でやるような実験をやったこと無いので分からないです」というと、「それなら自分で実験して経験を積んでから仕事をやったらいいじゃないか」と言われたんです。実験はもともと好きでしたし、その言葉以外にも将来を見直すきっかけがいくつかあったので、それで会社を辞めて研究者を目指してドクターコースに進学したんです。
理学部です。修士時代は農学部にいて、研究テーマも修士の時とは違っていたので人の倍は頑張らないといけないだろうなとは思っていましたけど、3年あれば学位が取れるだろうと気楽に考えていました。九大は設備も研究費にも恵まれて、またそれまで自分が売っていたものを使って実験をして製品の特徴を実際に体験することも出来て、最初は実験は非常に面白かったんです。ですが、研究者になるためにはいいジャーナルに論文を出して世の中に無い知見を発表していかなければならない、それがプロになれば最先端を競っていかなければならない。また同級生や先輩を見てもモチベーションが違うんです。私はネイチャー誌に論文を出すんだと言っている仲間がいるなかで、実験が好きなのと研究者になるのは違うなと感じ始めたんです。
そうこうしているうちに論文が書けないままあっという間に3年が過ぎて、当然3年で奨学金も貰えなくなりますから両親が心配して「あんた今後どうすると?学位取れんの?」ということになって。実際そこでやめようと思ったんです。奨学金も止まって、今後親の支援で研究を続けるというのは考えられない。3年間実験が出来たので、ここでもう一度就職しようと思ったんです。でも両親も「ここまで来たら学位とらんと。中途半端はいかんよ」と言ってくれて博士号は取得しよう、と研究を続けることにしたんです。
結局5年目に大学を出て、それから1年後に博士号を授与されました。
私の研究室の教授が、CASTI(東大の技術移転機関、現東京大学TLO)の副社長だったで、現在の上司でもある高田と面識があったんです。私は常々研究のバックグラウンドを生かして人と接する仕事がしたいと教授に言っていたので、教授が彼に相談してみようかと仰って下さったんです。
それで高田に連絡をしてもらったんですが、たまたま福岡に来ているということで、これから会いましょう、ということになったんです。そこで色んな話をして、その中で「産学連携という仕事があるよ。それは大学の研究成果を世の中に生かすための橋渡しをする仕事なんだ」と聞いたときに、これだ、それに興味がある、と思ったんです。
当時は技術移転を行う中心にTLO(Technology Licencing Office)という組織があって、九大にも九大TLOが出来ていたんです。そこで人が欲しいという話があったんですが、採用するには経営的に非常に厳しいと言われたんです。でもNEDO(独立行政法人新エネルギー・産業技術総合開発機構)が産学連携に携わる人材の育成を行うNEDO産業技術フェローシップという制度があって、その資金で九大TLOで働いてみるか、と高田に誘ってもらったのがこの仕事を始めたきっかけですね。
結構いますよ。実は技術移転という世界では、アメリカは日本の20年先を進んでいると言われているのですが、アメリカではこの職業に就いている人にはダブルメジャーの人が多いんです。経営学修士(MBA)を持っていて自然科学系の博士号を持っているような人。そういう話を聞いていたので、ビジネスの経験があって、研究経験もあるから自分もこの世界に合うだろうと思いましたし、実際この世界には博士号を持っている方が少なくは無いですよ。
今の仕事は、大学の研究者や企業の方とコミュニケーションを取りながら、お互いの要望を聞き出して、それぞれを繋げていくという仕事なので、営業経験が生きている部分は大きいですよ。特に医学部は試薬販売の営業で回っていましたので、この時間は忙しい時間帯なので伺ってはいけないとか、こういうスタンスで行けばいいなとか、決して媚びるわけでもなく、お互いにとって良いコミュニケーションが取れる関係を作るときに、前職で学んだことは大いに生かされています。
企業に対しては、研究者の情報などを持ってこんな技術どうですか、とその企業に関係する技術を持っていってコミュニケーションを取りながら仕事を進めていくんです。企業のニーズを聞き出すのは、容易ではありませんが、僕は企業のニーズを聞き出すために、その企業の事業領域に関する研究シーズを紹介するようにしています。この技術どうでしょうかと。そうするとその技術に対しての意見を言ってくれます。その中で、結局こういうことで困っていて、という話を聞けたりするんです。結局営業職はニーズを聞き出す仕事ですから、お客さんから「要らない」といわれたらそれで終わりなんですよ。「要らない」ということを聞き出さないためにネタを持っていく、相手が興味を持って食いついてくるネタを持っていくんです。
経験は後から生きる。今を大切に。
私から助言できるとすれば、今の研究を中途半端な気持ちでやって欲しくないなということです。今はいろんな情報があって、いろんなコミュニケーションの場があるんですけど、博士課程に進学しているのであれば今の研究はとにかく極めて欲しい。
サイエンスコミュニケーションと言っても、世の中にはそれに興味がある人は何万人もいるんです。その中でS君がキラリと光るためには、研究を極めてないことには難しいと思います。研究経験を生かして仕事をしたいと言うのであれば、研究を極めていかないと駄目だと思うんです。
その迷路はどの道が正解ということは無いと思うんです。私の場合も、これまで歩んできた道が正解だと思えるのは、たまたま今の仕事で以前の経験が生きているということを感じられるからです。だから今どっちに行けばいいか分からない、という時には自分がいま立っている場所に軸足をしっかりと置いて、達成すべきことをちゃんと見据えて、中途半端にならないようにやっていくことが重要だと思います。まあ前職の会社を辞めたことは中途半端となるかもしれませんが、その中でやるべきことには十分のめり込んでやってきましたからね。
しっかりと経験を積んで、そこでしっかりと目標を達成して、その経験を生かして社会に出て行くことが重要だと思いますよ。
さいごに
「地元に帰ったときにこんな仕事をやっていると話すと、ビックリされるんです。自分でもこの仕事をやるとは思っていなかったですけどね」と平田氏は語る。将来どんな仕事をするのかなんて、その時にならないと分からない。でも今の経験はどこに行ってもきっと生きるから、今を一生懸命に頑張ろうと、営業の仕事も博士課程の研究も精一杯打ち込んだからこそ、同氏が天職という技術移転に出会えたのだろう。
自らが技術移転を担当した研究成果をベースとして実用化された医薬品を使って自分の病気を治したい、という同氏の夢の実現にはまだ時間は掛かるだろうが、その目標に向かってこれからも今の仕事を精一杯続けていく平田氏の想いはきっと製品という形で世に出て行くに違いない。様々な可能性を秘めた技術移転という仕事に、注目しては如何だろうか。
- 氏名
- 平田 徳宏
- プロフィール
- 1996年3月
宮崎大学大学院農学研究科 修士課程 修了
1996年4月
理化学機器 販売代理店 入社
1998年4月
九州大学大学院理学研究科博士課程入学(植物生理学)
2003年3月
同上 退学(所定の単位取得)→ 2004年3月博士号取得
2003年4月
株式会社産学連携機構九州 入社(NEDOフェロー)
2003年10月
九州大学知的財産本部アソシエイト兼任
2005年4月
九州大学知的財産本部へ異動




