研究の臨場感を一般へ

橋本 裕子(日本科学未来館  科学コミュ二ケーター)

Category: 研究+α | Update: 09/05 | Posted by: ishizawa


今回の相談者は今後直面するであろう出産、育児などのイベントと研究をどう両立させていくのか、という事に悩む博士課程一年生の女性大学院生。対するキャリアチェンジ経験者は日本科学未来館の橋本裕子氏。博士号取得とほぼ同時期に男児を出産し、その後10年間育児と研究活動を両立させてきた。40歳のときに研究職を離れて、科学技術を一般市民に伝える職業に転職する。そんな橋本氏は女性ならではのイベントを如何に考え、どのように乗り越えてきたのだろうか。




研究活動が生かせる、一般の方に先端科学を伝える仕事。


「恋愛物語展」の企画を手懸けられたとお聞きしました。

はい、私が科学未来館に入ってすぐ、科学技術スペシャリストとしてこの企画展に携わりました。

科学技術スペシャリストとはどのようなお仕事なのですか?

科学未来館には科学技術スペシャリストが20名いて、その中で分野系と手法系に分かれています。分野系は科学技術に関する専門的知識を持って、先端技術をどのように分かりやすく噛み砕いて伝えるかを考え、手法系は建築やデザイン、写真の専門家で、一般の方々にいろんな手法を用いて先端技術を分かりやすく伝える展示を考案、作成する仕事をしています。
「恋愛物語展」では生命科学の専門家として、どんな展示を作ろうかということを詰めていくという作業をしました。生命科学という視点から恋愛というもの消化するにはずいぶん時間が必要でしたよ。どういう物語にしようか散々話し合いをして、その上で恋愛っていうのは人類が人間関係の中で行うものに限らず、生命の歴史の中で性が分かれたときが恋愛の起源かもしれないという捉え方は面白いのではないかと思って、発生学の研究者からお話を伺ったりしました。自分のバックグラウンドを一般の人に届けるときにどういう転換をしなければならないのかということを初めて必死に考えた、とても印象的な仕事でした。
今は12月オープン予定の医療に関する展示を企画しています。ここでは基礎研究が実際の医療にどのように応用されていくか、自分たちの生活にどうやって還元されていくのか、という展示を作っていければと思っています。

一般の方に専門知識を噛み砕いて伝えるのは非常に難しいと思いますが、その能力はどうしたら付くのですか?

実は科学未来館で働く前に、アプライドバイオシステムズジャパン株式会社でサイエンスライターの仕事をして、会社のウェブサイトや研究者向けに3万部ほど発行している雑誌に掲載する記事を5年間書いていました。そのときはバイオ系研究者をメインの対象として、新技術に関する情報や、自社製品を用いて研究を行なっている研究者の情報を発信していたので、同じ知識レベルの人とのコミュニケーション能力はある程度トレーニングはできましたね。内容は高度で一般の人向けではないですが、今は未来館が発行するサイエンスマガジンにも記事を書いて、一般の方にも科学というものを文章で分かりやすく伝えていく仕事もしていますよ。

知識以外のことで博士号が今の仕事に生きている点はありますか?

研究現場で科学技術が出来あがる現場の臨場感を感じてきた経験は強いですね。例えば今年のノーベル賞技術であるRNAiも、最初の現象報告からだんだんメカニズムが解明されて、今では様々な分野で用いられる実験法に成長しましたよね。自分達の発見ではないですが、研究室という、新しい技術が生まれ、育ち、その情報が逸早く入ってくるところにいて、それを肌身で体験したことで、それを体験していない方にはない視点から、科学技術を一般の方に伝えることが出来ていると思いますよ。




研究生活ではワクワクを追い続けた。だからこそ研究生活から離れることになった。



研究活動においては、どのようなキャリアを経られたのですか?

小学校の先生の影響で理科が好きになり、九州大学の理学部化学科に入学しました。4年生で行った研究の内容は今となっては一世代前のテーマですが、ペプチド合成です。学部を卒業してすぐに佐賀医科大学に職務員として勤め、ミオシンというタンパク質とミオシンのリン酸化酵素の研究に4年間携わりました。26歳のときに結婚して、夫の仕事の都合で上京することになりました。そこで当時インスリン受容体リン酸化酵素の研究をされていた東大医学部の桂教授宛に、メールもない時代だったので手紙を書いて、4年間研究生として受け入れて頂きました。研究生時代に出した数報の論文で、九州大学で博士号を取得しました。実は博士論文発表のときお腹に子供がいたので、子供には「あなたは私の博士論文発表を聞いていたのよ」と言ったりしています。それ以後は、学術振興会に採用されたり、ポスドクとして研究したり、非常勤の研究員をやったりと、子育てをしながら研究生活を送りました。

30代はずっと同じラボにいたんですか?

いや、結構移りましたよ。東京大学の医科学研究所、岐阜薬科大学、国立精神・神経センターの流動研究員を経て、1年半だけ民間企業でテクニカルサポート職なども経験しました。

私は今年の4月から大学に所属しながら理化学研究所で研究をしています。それまでの大学院にいて、その時から環境もテーマもがらりと変わって、すごく戸惑っています。新しい環境に移られたときにどういう風に馴染んでいるのですか?

私は環境を変えたときのワクワク感が大好きなので、それを楽しんでいるのかもしれないですね。環境が変わった最初の頃って何も分からないですよね。自分の色もそんなになくて、自分が吸収するということに専念できる時期。また新しく自分の中に色んなことが入っていくと考えると、すごく楽しいです。そのワクワク感が大好きなんですよね。もちろん初めて職場に行く前日は、胃が痛くなる思いじゃないですけれども、大変な思いで行きますが、最初のワクワク感のほうが上回りますね。

凄く前向きで私も見習いたいです。理研に来てから半年たったので、ある程度は吸収したと思うのですが、吸収したからにはそろそろ結果を出さないといけない、というのがすごいプレッシャーになっているんです。

なるほど、学生さんならではの悩みかなと思いますけれども、私が所属してきたラボは基本的にはポスドク以上の方がいるという所だったので、個人がそれぞれ研究者としてやっていく感が強かったです。そういう立場では「何年後」というのが常に付きまとうので、その先どうするかという、とても短いスパンでの計画と少し長めのスパンのビジョン、両方を考えることを自然と要求されていました。

長めとは10年くらいですか?

私の場合は3年とか5年くらい。その後何をやりたいかを考えて、何を選択するかというのを考えたときに、そこで身に着けなければならないことを逆算して、自分なりに課題を作っていく必要があるのかなと思いますよ。

私自身、全く長いスパンで物事を考えられていません。大学院にはそういうことを考えるきっかけがないのか、ありすぎるのかよくわからないですが、周りには自分よりも経験も技術も豊富なたくさんの研究者がいて、その方々は普通にそのようなことをされているので、とてもコンプレックスを感じています。

まずはそういうことを考えようと意識することから始めては如何ですか?自分で数年後のことを考えられるようになると、自分でもできたんだという風に思いますよ。外から見ているととても大変そうだけど、しばらくやっているとああ、出来るんだなって思うものですからね。

それから、そんなに長く研究を続けられたのに、どうして他の職業に移られたのですか?それまでと全然違うことをやるのは今までのことを全てパーにしてしまう感じがして、もったいなくてできないです。

転職のときに優先順位をつけたんです。自分にとって大事なものに順番をつけた。すると研究を続けるということの優先順位が落ちてきたなということを感じるようになったんです。大学を卒業して40歳まで研究職で過ごして来られたのは、楽しかったから、ワクワクしてきたからだと思います。飽きっぽい性格なのに、自分が研究で見つけたことを発表するときのワクワクがやめられなかった。それが、40歳を目前にして昔のような強いワクワク感が出てこなくなったんです。研究所で毎日毎日論文を見て実験をして過ごすという世界は、一度出るともう戻れない世界なのかなと感じましたけど、だからこそ自分に納得がいくまでやってから優先順位をつけたので、後悔はしていません。サイエンスライターや科学未来館での仕事は、自分のバックグラウンドを活かせるし、何かを作るとういクリエイティブな仕事で、その根幹は研究と通じるものがあると思うので、今もワクワクしながら仕事をしていますよ。



日本は100年遅れているという評価。女性が働きやすい環境を考える。



出産、育児などをされながらも研究を続けられたのは凄いと思うのですが、家庭を持って子供を生んだとしたら、育児や家事の時間が増えて研究する時間が短くならざるを得ないじゃないですか。そうすると論文の量や業績も減りますよね。どうやって両立されたんですか?

本当に両立させたのかと言われるとちょっと自信はないのですが、30代で子どもを生んだことで、研究者としてのキャリアは減速したでしょうね。家事も育児もあって、実験の量も限られてきますからね。

先日外国の学会に参加したときに女性研究者のキャリアをどうして行くか、という内容のランチョンミーティングがあったんです。そこで「あなたは何歳までに結婚して、子どもをどう育てるかということまで考えているの?」と聞かれました。保育園に入れるとか入れないとか、何歳から入れたいのかとか、ちゃんと考えて、それにあったキャリアを組み立てましょう、ということも言われました。他にも「ハーバードの小児教室だと保育園が完備されているからいいわよ」とか、逆に「ヨーロッパのどこどこの教授は理解がなかった」みたいな情報がやり取りされていたんです。私はそれまで客観的に日本の研究環境が女性にとってどんなものかほとんど考えたことはなかったのですが、そこでは「日本は100年遅れていて大変よ」というのが大半の意見でしたね。

欧米では女性が社会に進出しても出産率が落ちてないですよね。アメリカ帰りの女性研究者に聞くと、保育園のサポート体制も全然違うみたいで、すごく働きやすいと言っていましたよ。残念なことに日本では出生率はどんどん落ちて、かつ出産年齢は上がっています。でも日本でも国立精神・神経センターには看護婦さんが自分たちのために作った保育園があって、そこには研究所の人も待つことなく必ず子どもを預けることが出来るんです。私がいたころは育児休暇が2ヶ月だけだったので、2ヶ月目からその保育園に子どもを預けましたが、午前午後に授乳時間を30分ずつ貰える制度もあったので、そういうのも活用しながら子どもを育てましたね。日本でもこのようなサポート体制は少しずつですが広がっていますよ。

女性が出産なども経験しながらキャリアを形成していくに当たって重要なことは何だと思いますか?

自分を振り返って思うのは、女性だけに限らず、女性にも男性にも働きやすい環境を作るのが一番大事なのかなということです。正直な話、働きながらの育児は夫の協力がないととても辛いので、男性も早めに家に帰ってきて子育てをできるような環境、例えば夫婦で一日交代で交互に早めに帰れるというようになれば、育児や家事も分担できて、結果的に女性が働きやすくなります。男性にも女性にも働きやすい環境というのが、女性が研究に限らず仕事を続けていくためには必要なんだと思いますよ。それ以上に誰もがもっと安心して働けるような環境にしないと、バイオ業界に本当にこれから人が入ってくるのかな、ということも結構心配になります。例えば私の息子が「バイオの研究者になりたい」といったときに、私はちょっと迷いますね。現状は一度研究の世界に入ってしまうと研究以外の職業にはなかなか就くことが出来ないですし、研究職のパーマネントポジションは本当に少なくて、そこに入り込むことは難しいですよね。そんな環境にこれから本当に優秀な人材が入ってくるのでしょうか。話がそれましたが、いろんな意味で今後働きやすい環境を整えていくことが重要になると思いますよ。




今研究者を志す、妹たちへのメッセージ。



最後に博士課程在籍中の女性にメッセージをお願いします。

納得がいくまでやるということと、失敗をしてもいいからチャレンジをしてほしいという2点を伝えたいですね。私もそうでしたけど、ずっといい時期が続く人なんていないと思うんです。そういうとき、キャリアの高い女性のほうがポキッと折れやすいと感じるんですよね。ある障害があることで、様々な価値観の一つの点でも自分の思い描く理想に到達しないと、そこで全部をご破算にしてしまう傾向があると思うんです。全てを辞めて結婚して家庭に入るという極端な例もあって、横で見ていて「もったいないな」と思うんです。私の場合もある程度不遇のときもありましたが、それはそれで自分の中で納得する理由を探しながら、数年後のビジョンを思い描いてきたからこそ、それに向かって努力をして来られたし、その努力の甲斐があって新しい道がポコポコと出てきて、40歳にして民間企業の未経験の職種に就職できたと思うんです。今まで自分が歩いてきた分野と異なる分野に進むのは、確かに抵抗があるとは思うんですけれども、そこに入ってしまえばそこでまたいろんな出会いがあって、更に次のキャリアに流れ着くものだと思います。だから少し見方を変えて、そのときは自分には見合わないかもしれないと感じるところでも、チャレンジしてみて欲しい。それくらい柔軟というか強かになって、みんなに活躍して欲しいと思います。



さいごに


30代は育児と家事に追われて思うように研究が出来なかったため、橋本氏の研究者としての実績は実際に落ち込んだ。しかし高みばかりを狙わず、一つ一つの細かいキャリアを重ね、現在は生命科学の専門性をフルに生かして先端科学を一般の方に伝える仕事で活躍している。「子どもを産めたし、その子どもも180cmを超えるまでに育てられたし、いろんなチャレンジを納得がいくまで出来ました。今までの人生を全部ひっくるめて見れば、私はハッピーだったと思いますよ。」と橋本氏は30代を笑顔で振り返った。海外では既に働く女性へのサポート体制が充実しているところもあるという。女性が強い時代に、女性が安心して働ける環境を日本に築けるかどうかが、科学技術立国となるかどうかの境目となるかもしれない。




氏名
橋本裕子 博士(理学)
プロフィール
~1982年3月
 九州大学理学部卒業。
~1986年3月
 佐賀医科大学生化学教務員として勤務。
~1990年3月
 東京大学医学部研究生 九州大学において博士号取得(理学)
~1999年12月
 各種研究機関で非常勤研究員として研究活動を行いながら、出産、育児を経験する。
2000年1月
 アプライドバイオシステムズジャパン株式会社に入社。サイエンスライターとして活躍。
2004年8月
 日本科学未来館(http://www.miraikan.jst.go.jp/)へ入館。
 科学技術スペシャリストとして展示企画に携わる。
 代表的な実績として、2005年4月から8月にかけて開催され、約4万人が来場した「恋愛物語展」がある。
 また今年12月公開予定の常設展示「医療コーナー」のプロジェクトリーダーを務めている。
 未来館では、10月28日から企画展『65億人のサバイバル ― 先端科学と、生きていく。』が開催される。